相模の大凧の由来

大凧の歴史は、古くは、天保年間(1830年頃)からといわれ、本格的に大凧となったのは、明治中期からであります。当初は、個人的に子供の誕生を祝って揚げられていましたが、次第に豊作祈願、さらに若者の意志や希望、国家的な意義を表徴するものなど、個人的なものから地域的なものへと移り、戦前戦後をとおして、新磯青年団が主催して、毎年、上磯部、下磯部、勝坂、新戸の4会場で行われておりましたが、年と共に移り変わり、昭和44年からは、相模原市の4大観光行事に選定され、前記の4地区が毎年交代で実行委員会を組織し、会場は持ち回りで開催してきました。
しかし、社会情勢の変貌などから技術の継承や会場の確保などが危惧されるようになり、現在では「相模の大凧まつり実行委員会」によって開催されております。

大凧の題字は、市民から募集選定し、原字は、相模原市長が直筆します。
大凧には、その年の題字が書かれていますが、東京オリンピック開催の年には「祝輪」、平成4年度は新磯小学校百周年を記念して「新磯」、平成5年度は皇太子殿下の御成婚を祝って「慶祝」と、その時々の世相を反映したものとなっております。
そして、21世紀始めの年は、相模原市のPRと大凧まつりがますます発展するようにとの願いを込めて『紀風』と決まりました。

昭和52年には「かながわの民俗芸能50選」に、昭和57年には「かながわのまつり50選」に選定されています。平成2年には、国の文化財新指定「記録作成等の措置を構ずべき無形の民俗文化財」の中に「関東の大凧揚げ習俗」が選択されました。もちろんその中には、相模の大凧が含まれているこというまでもありません。最近では、中国(無錫市)、カナダ(スカボロー市)の友好都市にも出向き、まさに相模原市を代表する観光行事になっています。